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経営企画室 室長K.K
中途入社 第三学群 基礎工学類
物質・分子工学主専攻 卒
タイの子会社であるCTC(CATALER(THAILAND)CO.,LTD)に出向して感じたのは、目の前にある限られた範囲の業務だけでなく、全体を見ながら最適解を探ることの重要性です。
また海外では、コミュニケーションの難しさを超えて人を動かすことができるかどうかが、仕事の成否を占う鍵になります。
国内と同様に海外でも、1人の力でできることは限られているからです。
私は大学で金属材料を研究し、新卒で建築材料・住宅設備機器のメーカーに就職しました。
学生時代には海外への関心は高くなく、ずっと日本国内で働くつもりでした。
前職での海外経験はありません。キャタラーに転職したのは前職を7年ほど経験した2004年のことです。
キャタラーで配属されたのは原価企画を担当する部署で、現在の経営原価企画室に当たり、経理などの数字に明るくなる仕事のため、そのスキルを活かし、管理系として海外赴任する可能性が高いと思っていました。
タイへの出向を打診されたのは、2011年でした。CTCで総務・経理の責任者を務めてほしいとのことでした。
当時、国内での担当業務は原価管理だったため、責任者として経理業務を見ることに大きな不安はありませんでした。
前職で生産管理・資材管理などを担当したことも生産拠点であるCTCで役立ちそうでした。ところが、私には総務に直接触れた経験がありませんでした。
そこで、タイ行きの準備として、またキャタラー全体を知るための勉強として、本社の各部署を回り、CTCの情報を集めました。
また、日本にいる間にタイ語の語学研修を20時間ほど受講させてもらいました。短時間だったため、目に見える成果はありませんでしたが、タイ語への抵抗を減らす効果はあったと思います。
2012年12月、シニア・ジェネラル・マネージャー(SGM)としてCTCに着任しました。
管理系の本部長のような役職です。私が管理する範囲は総務・経理・調達。現地社長が直接率いる安全部門についても、日頃の動きを見るのは私の役目でした。
当時のCTC社員は約250名で、そのうち5名が日本からの出向でした。つまり、一緒に仕事をするほとんどの社員は現地の方たちでした。
ちょうど第2工場の建設と操業準備を進めていた時期だったため、現場の安全チェックや役所への環境関連の申請などもあり、忙しく働かせてもらいました。
事務所スタッフとのコミュニケーションは英語で事足りますが、製造スタッフとはタイ語の通訳を介して話しました。
言葉よりも越えるのが難しかったのが、働き方や考え方の違いです。例えば、現地の社員は、日本人社員ほど仕事に対する取り組みが“カチッと”しているわけではありません。任せた仕事について進捗状況を尋ねると「大丈夫」との答が返ってくるものの、いつまで経っても結果が出てこないことはよくありました。このようなケースから、管理者が仕事の進み具合を節目ごとにチェックし、フォローしていく大切さを痛感しました。
また、会社との契約にない仕事はやらないという姿勢をはっきりと示す人が多いため、契約に入れ込む項目を慎重に練る必要がありました。
ときには、なぜこの仕事をやらなければならないのかを十分に話し、相手を納得させることもありました。
海外では「本当にこんなことが?」ということが起きます。タイ着任の直後、労働組合がなんの前触れもなく残業拒否を通告してきたことをはじめ、私も想定外の出来事を数多く経験しました。
そのような事態に直面したときには、目の前で起きていることに引っ張られないように注意すべきです。事象を客観的に眺め、全体の状況を冷静に見直して判断することが重要です。
また、“鈍感力”も良い方向に働くと思います。
海外ならではの難しさに接したとき、あまり敏感に反応していると、大きなストレスになります。良い意味で深く考えない能力が必要だと思います。
私は家族と一緒にタイに赴任しました。私と妻、当時小学4年生と当時4歳の息子2人です。
ラヨーン県の会社から車で1時間ほどのシラチャという港町に住みました。インフラが整い、日本人にとって暮らしやすいエリアでした。
現地は運転の荒い車が多く危険なため、通勤やプライベートでの車移動はすべてドライバーにお願いすることになっていました。
安全面ではありがたいのですが、やはりドライバーに気を使ってしまい、深夜の移動は控えたり、土日のうち1日は出かけるのをやめたりしていました。
上の子どもは日本人学校に入学しました。熱心な先生方が多い印象で、中学進学と同時に帰国した子どもが勉強で困ることはなかったようです。
キャタラーの海外拠点へ出向すると、多様な業務で経験を積むことができます。
私もそれまで直接担当したことがなかった総務などの業務に挑戦し、異なる文化を持つ人たちと一緒に働いたことで、幅広い考え方ができるようになったと感じています。
この経験を活かせば今後、どのような部署に所属することになっても、全体的な視野を持って業務を進められるのではないかと考えています。
休日にはたまに子供たちと楽器で遊んでいます。また年に数回、会社のメンバーとスタジオに行って親交を深めています。(その後の飲み会がメインですが・・・)
ちなみに一番手前は昔次男が作ったオリジナルギター(紙製)です。使いすぎて弦(ゴム)が全て切れてしまっています。
※掲載している内容はインタビュー当時のものであり、現在の状況とは異なっている場合があります。